監察医の数は限られている。その為、それほど重要な案件でない場合、例えば死因が明らかな場合など、ベテラン警察官が検死をすることは珍しくない。
渋谷は失念していた。

「素人の検死だったのか。……なぁ、縊死(いし)と頸部圧迫死の区別はお前に判るか?」
「……とても難しいと思います。少しの角度の違いで、付いた痣から言い切るのは僕には無理ですよ。」
「もうちょっとだけ、話を聞いてみるか。」
「駄目ですよ、渋さん。今日は送別会なんですからね。主役が居なきゃ、僕が署長に怒られますって。」
「心配するな。すぐ戻るよ。」

*****

渋谷は歩きながら、自分の感じたいくつかの違和感を書き留めたメモを広げた。
身内の死に、微塵の動揺も見せなかった長男。
遺体を見つめる視線には、悲しみは感じられなかった。
それに引き替え、三男は父の死を知り、一人で立っていられないほどショックを受けていた。

「寺川さん。渋谷です。」
「ああ、刑事さん。お久しぶりです。」
「この度、定年退職することになりましたので、一言ご挨拶をと思いましてね。……おや、どこかにお出かけですか?」

渋谷は、玄関先にスーツケースがあるのを認めた。

「ええ。仕事でアメリカに行くんです。渡米当日に、父があんなことになってしまったのですっかり予定が狂ってしまいました。」
「そうですか。最後にお会いできてよかった。少し、お話しても?」
「大丈夫です。出立は三日後ですから。どうぞ……琉生はいませんけど、コーヒー位なら僕でも淹れられますよ。」
「では、御馳走になります。」

何度か訪れたことのあるリビングに通されて、渋谷は周囲を見回した。
実際には火を入れないレンガ造りの模造暖炉の上には、いくつかの写真が並び、家族の幸せな日々を切り取っていた。
スカートの後に隠れるようにしている、小さな男の子とよく似た母親。二人の少年と父親。

「刑事さん、どうぞ。ああ……それ、母が初めてこの家に来た時撮った写真です。母は、病気になってしまったので元気な時の写真はそれ一枚きりなんです。」
「そうですか。希にみる美人ですな。」
「美人薄命という言葉は現実にはありえないと思っていましたけど、その通りになりました。一緒に暮したのは短い時間でしたけど、僕達家族は母をとても好きでしたよ。」

慈愛に満ちた目で写真を見つめる尊の顔に、渋谷の勘がささやく。
「ところで、琉生校ですか?」
「ええ。」
「アパートを引き払って、戻っているんですか?これまで一人で暮らしていたのに……心境の変化という奴ですかな。」

ソーサーを運ぶ尊の手が止まる。

「……刑事さんは、琉生を疑ってるんですか?父の自殺について、まだ何か不審な点が?」
「いえいえ、琉生さんには完璧なアリバイが有りますし、上は自殺として認定しました。すみません。琉生さ会えるかと思っていたので、ちょっとがっかりしたんですよ。不躾でしたね。ここへは個人的にお邪魔しています。何しろ退職前、最後の事件ですからね。ご迷惑でしょうが、気の済むまでつついておきたいんですよ。」
「そうですか。琉生は母親が亡くなって、自分の居場所がなくなったと思ったんです。とても気を使う性質なので、父とも相談して好きにさせようという事になりました。ですから、家賃などは父が支払いをしました……以前にも、お話したはずです。」
「ああ、そうでした。連れ子さんでしたね。そうだ。一つだけ報告しておこうと思ってたんです。実はね寺川さん。わたしも先日知ったのですが、お父上の検死をしたのは、監察医ではなく警察官だったんですよ。」
「……それが何か?」

渋谷は、ふっと笑みを浮かべた。その顔に、何かを含んだ狡猾さは無い気がする。
尊は内心どきりとしたが、表情に浮かべる事は無かった。